放置して申し訳ありません。
書きたいことが多すぎて書いては消しを繰り返し。
書き終わっては見直し、違うだろうと思い保留にし。
を繰り返しては結果放置になりました。
いかんせん、
「今日はお休みなので○○へランチに来ましたー♪」
とか、
SEO狙いなのかわかりませんが「今日買った雑誌の■■が可愛かったですぅ」
などと書けないたちなのでごめんなさい。
さて、
信じるとは「人」と「言」という漢字が合わさって出来ています。
人の心が、
一般的には読めないので、
「人」が「言」う事を参考にするしかないようですねってことで解釈します。
するってぇと何ですか、
信じたいからには人の口を割らせなきゃいけないってことにもなりますね。
信じたいから人の口を割らせたにもかかわらず、
信じられないような事が飛び出す可能性もあるわけです。
しかし、
ある意味、己の勘を確定させて安心させたいからこそ、
信じられない答えを期待して口を割らせることもあるのでしょう。
じゃあ、
何を優先させるのか。
「信じる」
「信用」
「信頼」
「信念」
「人」の「言」った事を、
信じて用いる程度に済ませて傷つくことを最小限度に止めて自己防御するのか。
信じて寄り頼むことによって相手の力をも借りて己を強く保つのか。
信じてそれを念じることによって己の強さが育つのを待つのか。
それ以外にも色々あるだろうと思います。
その、どれも嫌だから信じる気持ちを「不」能にするのか。
きっと、
「不」能にしてしまえば、
一番合理的です。
「不信」になってしまえばこそ
信じることも無ければ、
裏切られることも無いのですから。
なのに、
進化したはずの人間は信じたがります。
裏切られたといいます。
なぜですか?
一番解らないのは、
「やれば出来る」
「信じるものは救われる」
「期待してたのに・・・」
なんていう、信じたくないけども、
よく聴くフレーズ。
でも、
やれてりゃしてるし。
信じて救われていれば今頃、
人間はいがみ合うことも無く世界が一つだったでしょう。
期待値が高すぎたんじゃないですか?
観察力を身につけましょう。
なんて、
思ってはいても言う人もいないでしょう。
そこを、
ひねくれている僕は言ってしまいます。
言い続けてきました。
そして一人です。
調子乗って独立開業とかもしちゃいましたしね。
ふと気づくと、
馬鹿なんじゃないかと思ったりもします。
いやいや。
馬鹿でしょ。
と
思います。
でも、
そう思って生きてきたお客さまやスタッフを始め、
たくさんの方に出会って、
ほっとしたり。
「人」の「言」う事を信じて我を張って生きていこうと思ったりもしてます。
つまるところ、
みんな裏切られることを求めているんだと思います。
良い意味でも。
悪い意味でも。
そりゃ、
良い意味で裏切られることは、
一見すると大歓迎です。
でも。
自己の立場における、
相手や物事への観察力・洞察力の
欠如へ関心は向かないのでしょうか?
逆もまた然り。
美容師という仕事には、
その両方の観点・視点が見え隠れしている気がしてなりません
良い意味で裏切られる事を望むお客様のために
良い意味で裏切る事を狙った仕事を目指して、
悪い意味で裏切ることを懸念して、
そうならないように思いをめぐらしながら仕事をするわけです。
「人」が「言」う事しか信じることが出来ない人知において
そこまで思いを巡らせて働く必要があるのかといえば、無いでしょう。
でも、
出来たとしたら。
とても素晴らしい美容師さんが増えるのではないかと
嫌な気持ちでお店を後にするお客様が減るのではないかと信じています。
あぁー
何が言いたかったんだろう。
とにかく、そう言う事です。
信じたいんです。
書きたいことが多すぎて書いては消しを繰り返し。
書き終わっては見直し、違うだろうと思い保留にし。
を繰り返しては結果放置になりました。
いかんせん、
「今日はお休みなので○○へランチに来ましたー♪」
とか、
SEO狙いなのかわかりませんが「今日買った雑誌の■■が可愛かったですぅ」
などと書けないたちなのでごめんなさい。
さて、
信じるとは「人」と「言」という漢字が合わさって出来ています。
人の心が、
一般的には読めないので、
「人」が「言」う事を参考にするしかないようですねってことで解釈します。
するってぇと何ですか、
信じたいからには人の口を割らせなきゃいけないってことにもなりますね。
信じたいから人の口を割らせたにもかかわらず、
信じられないような事が飛び出す可能性もあるわけです。
しかし、
ある意味、己の勘を確定させて安心させたいからこそ、
信じられない答えを期待して口を割らせることもあるのでしょう。
じゃあ、
何を優先させるのか。
「信じる」
「信用」
「信頼」
「信念」
「人」の「言」った事を、
信じて用いる程度に済ませて傷つくことを最小限度に止めて自己防御するのか。
信じて寄り頼むことによって相手の力をも借りて己を強く保つのか。
信じてそれを念じることによって己の強さが育つのを待つのか。
それ以外にも色々あるだろうと思います。
その、どれも嫌だから信じる気持ちを「不」能にするのか。
きっと、
「不」能にしてしまえば、
一番合理的です。
「不信」になってしまえばこそ
信じることも無ければ、
裏切られることも無いのですから。
なのに、
進化したはずの人間は信じたがります。
裏切られたといいます。
なぜですか?
一番解らないのは、
「やれば出来る」
「信じるものは救われる」
「期待してたのに・・・」
なんていう、信じたくないけども、
よく聴くフレーズ。
でも、
やれてりゃしてるし。
信じて救われていれば今頃、
人間はいがみ合うことも無く世界が一つだったでしょう。
期待値が高すぎたんじゃないですか?
観察力を身につけましょう。
なんて、
思ってはいても言う人もいないでしょう。
そこを、
ひねくれている僕は言ってしまいます。
言い続けてきました。
そして一人です。
調子乗って独立開業とかもしちゃいましたしね。
ふと気づくと、
馬鹿なんじゃないかと思ったりもします。
いやいや。
馬鹿でしょ。
と
思います。
でも、
そう思って生きてきたお客さまやスタッフを始め、
たくさんの方に出会って、
ほっとしたり。
「人」の「言」う事を信じて我を張って生きていこうと思ったりもしてます。
つまるところ、
みんな裏切られることを求めているんだと思います。
良い意味でも。
悪い意味でも。
そりゃ、
良い意味で裏切られることは、
一見すると大歓迎です。
でも。
自己の立場における、
相手や物事への観察力・洞察力の
欠如へ関心は向かないのでしょうか?
逆もまた然り。
美容師という仕事には、
その両方の観点・視点が見え隠れしている気がしてなりません
良い意味で裏切られる事を望むお客様のために
良い意味で裏切る事を狙った仕事を目指して、
悪い意味で裏切ることを懸念して、
そうならないように思いをめぐらしながら仕事をするわけです。
「人」が「言」う事しか信じることが出来ない人知において
そこまで思いを巡らせて働く必要があるのかといえば、無いでしょう。
でも、
出来たとしたら。
とても素晴らしい美容師さんが増えるのではないかと
嫌な気持ちでお店を後にするお客様が減るのではないかと信じています。
あぁー
何が言いたかったんだろう。
とにかく、そう言う事です。
信じたいんです。
0 件のコメント:
コメントを投稿