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2018年6月15日金曜日

なんでaimableは変わっているのか。

何度目かのブログ放置です。
謝ったところで意味がないので謝りません。
ごめんなさいこの野郎、
一昨日おいであそばせ。

あまりに長い充電期間を経て思うこと。
何もかもが変わりすぎて何も変わらない。

つまるところはね。
常識ってなんでしょう。
普通って何ですかね。
ってことなんですよ。

常識人。っていわれれば安心
非常識といわれれば不安。
普通。と言われると
なんかつまらない
変わっているといわれるとなんか目立った気分になる。

その安心や、つまらなさはあなたに何をもたらしていますか?

常識人で居ようとする努力。

普通を保つ為の動機付けの確保。
は常に進んでいく時間の中で、自分の人生を楽しめるものになっていますか?

あなたの周りに一人や二人はいる、
非常識な人。
非常識な出来事やニュース。
それらを見て意見したり、批判したり。
そうすることによって、
人は自身が常識人でいる自覚を保つ事を無意識にしているのではないのかなと。
僕は勝手に考察します。

時に、「普通は…」とか「普通ならば…」
なんて口にしたり思ったりしてませんか?
でも、
「じゃあさ、普通ってなによ」
って聞かれたら困りませんか?

つまるところ、
「常識」や「普通」何てものは一番変わりやすくて、ある意味「無責任」だと僕は思っています。

だってね。
「常識」や「普通」が変われば昨日までの「常識人」や「普通の人」は、
「非常識」で「変わった人」になってしまうわけでしょ?

それこそ、日本には「神」が「人」であることをカミングアウトした時代があったわけでしょ?

そりゃあ、全国民総慌て。でしょうよ。
うちのじいさん(100歳まであと少しで他界。)曰く。
「あ~。やっぱりね。」
なんて、割り切れた人はあまり居なかったと推測します。
そりゃそうでしょうよ。その「神」の為に己の命や大切な人の命を捧げてきたわけですから。

でも、その時代は疑問を感じながらもそれを義としてきたわけで、
その精神の強靱さが、今の日本を作り上げてきたわけでしょ?

つまりは、
世間様の常識の変化や普通の価値観の波に敏感に反応して、
尻軽といわれようが薄情といわれようが、
変化に順応して対応してきた人が、
人という生物としては、作りがいいわけでしょう。

でも。
そんなことをすれば、「自分勝手」とか「世間知らず」などと揶揄される。

四十手前になって思うことは、
ほかの生き物の命や存在を道具で制したり、律したりできるようになった人間という生き物は、
自らが滅ぼし合わないように作りだした生きる術が「常識」であり「普通」なのだということ。

だから、「常識人」や「普通の人」は安心するけどつまらない。

つまり、
敵じゃないと勝手に思い込んで安心できる反面で、
勝手に相手の中に自分と同じ「普通」を勝手に感じて、勝手につまらなくなる。

そして、
「常識人」で「普通」な安心やつまらなさを維持するために、
いろんな物事や出来事に評価や意見をしているだけならまだしも、
一方的に作られた意見や見方に同調して批判やバッシングをすることによって、
「常識人」で居るためにしている我慢や「普通」でいるために行っている偽装を正当化しようとしたり、自分を慰めている。

自身の今までを正当化するため?
これからを安定するためのフラグ?

それなのに、
自身の子どもや次世代を担う若者には「発展」や「繁栄」または「成長」を願う。

「無理があるだろ。」

誰も悪くなくて皆が悪いパワハラですよ。



僕は思う。
「その常識や普通は誰基準?」


むやみに殺めてはいけない。
とか
死んで良い命なんてないんだよ。
とか言いながら肉や魚喰っちゃうし。
殺して食うと見せかけて、残しちゃうし捨てちゃうし。
って、
いわば「人類基準」。

じゃあ、
戦争をして殺し合ったり。
飢餓や病気や老衰でこの世を去る命は?


「神様基準」。


だったらどうする?
ねぇ。
どぉします?

僕は、訳あって人が勝手に考えたものの結構支持率の高かった「神様基準」を知っています。
いや、知っていました。
その話は次に書きます。

だから、
「常識」や「普通」を理解はしているものの「疑い」ます。

だから、
そんな人が経営するaimableは
きっと
変わっています。

そんなお店に興味を持ってしまったあなたは、「地球基準」の持ち主かもしれませんね。











2013年3月21日木曜日

ひとのときをおもう。

とは某タバコ会社のキャッチフレーズ。
個人的には、
自分が思うほど人は自分の事を思ってくれてはいないと思うわけです。

そんなことを、お客様商売を生業にしている人間が
口にしてはいけないと思うわけですが。

美容師人生において、
延べ40000人を超えるお客様に
出会う機会に恵まれて生かされてきた中で思うことは多々あります。

常々、お客様に触れながら思うことは上記の寂しい一言に集約されます。

しかし、
だからこそ、
目の前のお客様の求めておられる何か。
を知るために意識を集中するわけです。

人は自分が相手を思うほどに、
自分の事を思っていてくれてはいないと知っているがこそ、
もしくは、そう知っているがゆえに、
更に、相手や物事を強く思い、時に念じ。
それがゆえに、
深い喜びや安心を知り、
時に傷ついたり、気や心を病むのだと思います。

だから、
せめて美容室くらいは。
と思って仕事をしたくなるわけです。

髪を切る行為は意識して行うことが可能な排泄行為と言えると思います。

身体の一部ではあるものの血が通っていない以上、
呼び名は「角質」なわけで垢や爪と一緒であるわけです。

気にならなければ、
放って置いても生死に関わることは稀です。

しかし、
気になれば気になり
気にしなければ気にならないわけです。

そこに拘ればこそ気に入った髪形になれば喜びや力が生まれ。
拘ればこそ悲しみや怒りが生じるわけです。

作り手とて然り。

こだわればこそ一人のお客様に思いを傾け、
それが伝わるほどに新たなお客様との出会いが生じ。
己の手の早さや気持ちの振り分け方に驕りが生じれば先が見えず。
焦り、戸惑い、迷うわけです。

お客様の一度のカットに割いていただく時間と同じように、
美容師が取り分ける時間にも限りが有ります。

仮に同じ一時間を持ち寄るならば、
お互いにメリットがあればこそと思います。

お互いに必要とする存在に切ってもらいたい、
もしくは切りたい。

という精神状態であるべきだと思います。

その感情が強く作用したために、
店舗を分けました。

勝手な考えですが、
自分の限りある時間を、
僕じゃない誰かでもいいと思うお客様に使いたくないのです。
僕じゃなきゃいけないお客さまの為に、
僕の時間は使われるべきなのです。

とはいえ、
aimableでなければ解消できないであろう、
「何か」も存在するはずです。

aimableに学びに来ているスタッフも
自分でなければ確立し得ない仕事、必要とされる存在を目指して集って、
精進しています。
その道のりの手助けをしていただければと思い、
1Fのaimable aimeの価格設定が存在します。

つまるところ、
人を自分が思うほどに、
相手が己のことを思っていてくれなかったとしても、
さほど問題ではないわけです。

自分が相手や物事を強く思う。
その気持ちこそが、
自分自身の生きる糧となり、
更なる飛躍へと導くものと信じれる何かへ昇華するのだと思います。

なんつって、
実は自分の傷を一緒に痛がってくれる、
誰かや何かを探しているだけだとは思いますがね。

2009年2月2日月曜日

久々、再燃。大人買い。


してしまってのは、大好きなバイクのはずでしたが、
鍵が見当たらないのであきらめました。
そこへ頭を擡げて来たのが写真のこいつです。


もともと、文字が好きで、突発的に本やら新聞やら雑誌やらを、
手当たり次第に読みたくなる衝動に駆られるのですが。

久々に、
漫画はどうでしょう。
と思い。
地域のマーケティングもかねて、
最近、店内の警戒警備主任から専務に昇進になった後に引退し、
外部機関の相談役になったしろさんとBOOK OFFへ視察に行きました。

そこで、見つけた浦沢直樹さんの文字と絵と独特の世界観で、
しばし楽しみながら、僕の仕事に必要な妄想想像力をトレーニングします。

きっと仕事に反映されて、お客様に還元できると思います。
きっと。


そして、先日嬉しいことがありました。
Blogで書いたパーティーで出会った円城寺先生がaimableに遊びに来てくださいました。
美容師のお友達が多くない僕としては、ありがたいです。

今年は、頑張ってお知り合いを増やしたいです。