物の価値。
場所の価値。
空気の価値。
人の価値。
価値観は人それぞれと言いますが、
ある一定の価値観というものは存在するはずです。
僕は、それを世間というものだと感じます。
いちばん身近な世間は何かと考えると、
家族だと思います。
そこでも価値観を感じることエピソードが起きました。
最近、誕生日を迎えた僕に何かをしてくれようと思ったまではよかったのですが。
こんなご時世、自分で作った方が安い
と、出来る妻をアピールする計算が、悲しいかなそこはAB型の定め。
形から入らなければ身動きが取れない為、
道具やら何やらを揃え直したその瞬間、
もろくも市販のバースデーケーキ価格を軽く越えてしまった…
という本人的には当初の思惑がもろくも崩れた手作りケーキの登場。↓
↑の登場により、
では、その世間において自分の価値はいか程なのか。
などということも考えたりするわけです、
自分の存在だって、その世間の一端を担っていると意識して生きることの、
必要性を感じることがaimableを始めてから多いわけです。
特に最近、感じます。
そのように意識して働かなくては、
というより、
そのように意識して働いて来ていたんだな。
と気づいたという方が、
正しいような気がします。
美容院の価値。= 満足度。
と感じるようにしているわけですが、
満足度。
と一言で言っても、かなり幅が広いわけで、
そのすべてを網羅しようとするのは不可能に近いです。
しかし、それを解っていながら諦められない。
諦めたくない。
というよりも、諦めるわけにはいかないんです。
僕が、いつも意識しながら働くのは、満足度の先にある「何か。」
なので、満足度。を諦めるわけにはいかないのです。
ただ、その先にある「何か。」が何なのか。
正直に言って、解りません。
それぞれの方が様々に持ち、そして評価する「価値観。」「満足度。」
そして、その先で更に枝分かれする「何か。」
悩ましいです。
でも、プロを目指す人間にとって努力を怠ることは失格なのです。
生きている間に、その領域の世界観の素晴らしさを、
少しでも垣間見ることが出来たならば、すごく幸せだと思います。
そのすべては、現在進行形であり続けていて、一生追いつくことはないのかもしれませんし、
自分がその流れを引っ張っていると感じたときには、
自分が遅れて行くのかも知れませんし、自惚れた結果なのかも知れません。
でも、その領域になったらば、誰も注意してくれたり、
教えてくれたりすることはないんだろうなと感じます。
バランスよく。
というのは、とても難しいのだと思います。
ただ、そこにフォーカスして努力を続けるだけでは人間味に欠ける気がするのです。
人間らしさの醸し出す、許容範囲内の誤差。
この、許容誤差のもたらす不協和音にも似た独特の感覚が、
同じ人間だから感じる心地よさをもたらし、
仲間が増えるのだと信じてしばらくあがくことにします。
どうぞ、お付き合いください。
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