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2009年12月6日日曜日

悩みます。

突然ですが。
今回のブログはある意味地雷的です。
心構えのある方は続きをどうぞ。











読むんですね・・・。
ありがとうございます。m(_ _)m
では続きをどうぞ。

とはいっても、
いつものごとく軽い内容をだらだらと書くわけなんですけれども。

今回のお題は、

教える事。

個人的には、教えるには色々な意味があると思っています。

その、
個人的な思いが時に己の足を引っ張ったりするのはよくわかっているのですが。

時に、誰かを動かすほどの力を、
自分の知らないところで発揮している事も、
理解できるようになってきてはいるのですが。

日々、悩み、葛藤し、自分の中の何かを絞り出し、遺伝を狙って与えたり。
教える。

同じように教える立場に身を置いている人たちは、
どう思いながら日々を過ごしているのだろうと。

美容師の日常には教える事、教わる事が常に沢山あります。
それは、何をするにしても人を介しているからだと思っています。
だから、
僕の中では「教えてください」「教わりたい」「教えたい」
という感覚や表現には、素直に納得できなかったりしています。

自分の方が経験や年齢が上で一般的に「教える」ことを求められた場合。
僕の中では「教える」という感覚よりも「伝える」という感覚が先行します。

なぜかというと、きっと年齢、経験に関係なく身の周りで起きている事には、
一般的な人間に大きな大差は無い様な気がします。
「教える」「教わる」立場の差が出るのは、
その大差の無い日常において全ての事にどのように捉え、あるいは感じ、
そして考えるか。
だと思っています。
なので、僕の中では「教える=伝える」に近いのです。
よくあることなのですが、
「こういう風に話しているの聞いたことない?」あるいは
「こういう風にしているのを見たことない?」
と聞くと、大概返っててくる答えは、
「そういえば、あります」

なので、「教える」よりも「伝える」
今まで、もったいなかったな。
と気付かせる作業の様な気がします。
そこに気づいた人は簡単に、
言わば勝手に成長していくので教える側(伝える側)の出番は少なくなっていきます。

逆に「教わる」という感覚には、
自分の中の「錆」みたいなものを落としているような感覚が先行します。
気付けていなかった自分を思い知らされるような。
気付けなくなった色々な原因、要因、
言わば心や感受性の錆を取り去り、
敏感さを洗い直すきっかけをもらうようなものだと思います。

そこを踏まえて、
ここ最近の日常は相乗効果で僕はとても良い刺激を受けながら生きています。
と言えば最近のaimableの雰囲気を感じて頂けるでしょうか。

ここで、地雷要素。
このブログを読んだ方の中で、
人に何かを教えたり伝えたりする時に、
心がけているような事をお持ちの方はいらっしゃいますか?
もし、これは使えるよ。
や。
それは考えすぎじゃない?
等の書き込みを頂ける方がいらしたら、ご協力いただければ幸いです。

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