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2012年12月30日日曜日

明日、この世を去るとしたら。

そんなことは、
誰もが考えていながら見て見ぬ振りをしているのだと
勝手に考察します。

きっと、
そんなことを考えながら生きることなんて
無意味だと思うからでしょう。

しかし、
そんな、
ある意味くだらないことに拘れば見えてくる何かがあると、
くだらない僕は考えてしまうのです。

そんなことを思うようになったのは、
自分が過去に一度失った人生があるから。
あるいは、
一生懸命に生きてきた父親が4
8歳でこの世を去る瞬間に立ち会ったから。
もしくは、
通勤電車で先頭にいたときに目の前
で電車に飛び込んできた人を見たから。
それとも、
僕が鋏を入れたお客様がその数日後に
亡くなったから。

きっと、誰もが喜びや無念や様々な感情を持ちながら、
そのときを迎えたのだと思います。

死を意識して生きればこそ、
生へのこだわりが存在し。
生へのこだわりを持てば、
死への恐怖が存在するわけです。

老いを意識すればこそ、
豊かな老後と共に、
今すぐ気持ちは、
老いを手に入れるわけです。

髪は切る瞬間こそ一瞬で、
伸ばす事は時間がかかるわけで。

しかしながら、
切る事によって美しさや新たな何かが生まれるわけであり。
伸ばすことに固執すれば、
髪への愛着が生まれるわけです。

懸命に生きれば生きるほど、
老いや死への恐怖に悩まされるわけです。
時に、
その恐怖が転換し、
己の生への疑念や不安、意義への疑問になったりします。

それらを、解消するために、
己の人生や仕事への意味や自信を探したり、
納得できる結論や落しどころを見出してたりします。

では、
自分はどうなのか。

僕はもともと臆病で人見知りで、
他人の目や考えが目に付いて身動きが取れない人間でした。

だからこそ、
誰にも負けない何かが手に入れたくて、
今の仕事をしています。

自分が何かをすることによって、
誰かに喜んでもらいたい、認めてもらいたい。
そんな感情に突き動かされて日々を生きています。
親子4代にわたる美容師という職業は、
天命、天職、適職。
そんな評価を頂くことも僭越ながら、
あります。

しかし、
その仕事の原動力はエゴではないかと。
悩むときもあります。

己の何かを満足させるために仕事をしているなんて、
甚だ恥ずかしい話しではないかと思うわけです。

そんなことを考える余地もなく、
日々働いておられる方が、
世間にはたくさんおられるのに。

こんな若造が生きる意味や、
働く意義なんてものに対して意見を述べるなど、
痴話に近いくだらない話なわけです。

20代で独立し、
今の有難い日常が存在することに未だに違和感を感じます。
お客様やスタッフの助けのお蔭で成り立っていることへ、
無限の感謝と申し訳なさが沸きます。

それに対してお返しできるものは何もないことに、
虚無感を感じます。
自分には髪を切ること、綺麗にすることしかないわけで。
皆様の持ち物である髪を通して夢を見たり、
無限の可能性に浸ることしか出来ないわけです。

若い頃、90近くになる師匠に言われた言葉が、
最近やけに頭を巡ります。
「栄夢君、美容師はお客様に夢を与える仕事です。
      君に夢はあるかね?夢を実現し続けること、
        夢を持ち続けることへの覚悟はあるのかね?」


夢と希望しかない、
世の中を舐めている20代そこそこの髭面は
「あります。」
なんて答えるわけです。

そこから10年。
次々に目の前や先に生まれ続ける
夢に、希望に、理想に潰されそうになります。

つまるところ、潰されてしまわないためには
明日、命を絶つとしても。
今すぐこの世を去るとしても。
一分の悔いを残さず、
懸命に生き続けることしか出来ないという結論に至りました。

お客様を必ずお見送りさせていただくのには、
以上の理由があります。
自分の今の精一杯で満足していただけるお客様の存在に、
深い感謝と不安や申し訳なさを感じます。

本当に喜んでいただけているのだろうか。
もっと出来ることがあったのではないか。
次回おいで頂く機会を頂戴したときに
今日よりもいい仕事が出来るのか、
その為に何を磨くのか。

だから、
やめてと言われても続けています。

やめて。
といわないでください。

なんて、まじめな事を言いながら
aimable忘年会のひとコマ。



今後とも、
元町のaimable aimable aime
をよろしくお願い致します。


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